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「川越勝のちょっと一言」
Back Number 2021:2月
< 2021/2/26(金) >
「私の好きな聖句」 この番組を聞く
2021年1月23日 礼拝説教
今、私の好きな聖句はマルコによる福音書11章24節です。この聖句は中学校の時から知っていましたが、「祈りの答えを見ていないのに、すでにかなえられたと信じる」ことは自分には出来ないと長い間思っていました。牧師になってからも。しかし、1988年3月1日、「神さま、今日からこの聖句を信じます」となったのです。その日、何があったのでしょうか?
< 2021/2/22(月) >
「甲子園への遺言 <8>」 この番組を聞く
「野球は頭のスポーツ、プレーする前の準備が勝負を分けるのだ」と言ったのはシンキングベースボールを南海で実践したドン・ブレイザーです。頭脳野球の野村監督とシンキングベースボールのブレイザーが日本の野球に大きな影響を及ぼします。そこでその影響を受けたのが打撃コーチの高畠なのです。
< 2021/2/19(金) >
「イスラエルの世代交代」 この番組を聞く
(2014年12月12日号の再掲載です)
2014年11月1日 SDA三育関町教会の午後の礼拝の説教
民数記は字のように民の数を数えて記録しています。民数記1:1~3
成人男子の数は60万3,550人です。
2回目の調査の時(民数記26:51)には60万1,730人です。1回目の時に20歳以上で数えられた人のうち、2回目で数えられた人はヨシュアとカレブ以外にはいませんでした。
しかし、約40年で人数は元の数に非常にちかい数になっています。これは今の日本の人口動態からは到底考えられない事です。40年で入れ替わる事は考えられないのです。
それを日本の死亡者数と出生数から考えてみましょう。これは彼らが寿命や戦死だけではなく、主への反逆によって滅ぼされた人が多い事を示しています。
< 2021/2/15(月) >
「甲子園への遺言 <7>」 この番組を聞く
打者が手が出る程欲しい情報、それはピッチャーが次に投げる球がストレートか、変化球かです。スパイ作戦は色々な方法で実行されていました。どの様な事がされていたのでしょうか? 高畠は敵に見破られない方法を使っていました。
< 2021/2/12(金) >
「上げ底にならないように」 この番組を聞く
(2011年9月20日号の再掲載です)
シャローム横須賀の朝の礼拝で話したメッセージです。
そば屋で初めて食べた山盛りのざるそばの思い出・・・「多いなあ、あんなに食べられるだろうか?」が、「なあーんだ」になりました。
上げ底だったのです。
キリストも上げ底に似た教えをしておられます。
< 2021/2/8(月) >
「甲子園への遺言 <6>」 この番組を聞く
打者として素晴らしい能力を持っていた高畠ですが、怪我のために本当に苦しみました。野村監督は彼の一振りにかけて「代打男」にしました。選手としての活躍は5年間でしたが、28歳でコーチに抜擢されました。彼のコーチを受け、グングン伸びたのが、藤原です。さあ、どうなったのでしょうか?
< 2021/2/5(金) >
「天下の一大事」 この番組を聞く
(2014年11月28日号の再掲載です)
2014年10月18日 三育関町教会での礼拝説教
一人のベニヤミン人の戦争報告があり、その報告を聞いたエリは驚きのあまり倒れて首を折って死にました。
戦場で二人の息子は殺され、あのイスラエルの宗教の中心部分であった神の契約の箱がぺリシテ人に奪われたのでした。
これは当時のイスラエルにとって天下の一大事です。信仰の低下は判断力を狂わせてしまいます。
あなたにとっての「神の箱」は今どこにあるでしょうか?
至聖所でしょうか? それともぺリシテの陣営でしょうか?
< 2021/2/1(月) >
「甲子園への遺言 <5>」 この番組を聞く
南海ホークスに入団した高畠は打者として素晴らしい能力を持っていたのですが、怪我のために本当に苦しみました。監督になったばかりの野村は高畠を代打として使う事にしたのです。野村は高畠の一振りに賭けたのです。さあ、「代打男の誕生」ですが、彼はそれに応えたのでしょうか?